「努力する」しか手段がない時期があることを分かった上で、そこから早く脱却することを考えるべき

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photo credit: qisur via photopin cc

おはようございます!

先日、下の記事を読みました。

「努力する」のは最後の手段 – 脱社畜ブログ

仕事という状況下では、費用対効果を考えて、できるだけ「努力する」のを排除して効率的に取り組む。「努力する」しか選択肢がなくなってはじめて努力すべき。そう言ったことを主張されている記事だと受け取りました。

社会人として働くようになってもうすぐ5年目になる身としては、これはとても良く分かるし、当然そうあるべきだと思います。
ただしかし、新人の時にこの記事を読んだら「理屈としては理解しているつもりだけど、、、」と、ちょっと複雑な気分で読んでいただろうなぁとも思いました。

前提:「努力」とは?

国語辞典を引いてみると、努力とは「心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。」。

心のこめ方は人それぞれとして、「骨を折って事の実行につとめること」として認識されている言葉と受け取っておきます。

新人の時は問題解決の選択肢自体がそもそも少ない

さて、読んだ記事から以下を引用します。

僕がまだ会社で働いていた時の話だが、ものすごくやる気に満ち満ちた新人がいた。最初の自己紹介で、彼は「自分は全然寝なくても大丈夫な体質なんで、必死に働きます!」と宣言した。嫌な予感がした。こういうことを言う人に限って、仕事ができなかったりする。果たして、彼は大丈夫なのだろうか。

嫌な予感は的中した。彼は「考える前に努力してしまう」タイプだったのだ。仕事をお願いすると、もっとも愚直な方法でそれを解決しようとする。具体的な仕事の話は書くわけにはいかないので喩え話をすると、エクセルのマクロを使えば一発で終わるような仕事を、延々と電卓でこなすような感じだ。そんなに量が多くないというのであれば、電卓も手段としてはいいかもしれない。しかし、明らかに電卓では終わらない量だというのであれば、電卓以外の手段があるのでは?と疑ってほしい。努力する前に、まずはラクできないかを考えて欲しいのだ。しなくていい努力をしても、別に仕事の結果がよくなるわけではない。彼はずっと、「しなくていい努力」ばかりしていた。

引用元:対象のページ

なにか昔の自分を思い出すようでした。

大学までシステムのことなんて何も知らなかった自分が、システム開発の会社に就職しました。
それまでの経験といったら、Wordは文字を入力する程度、Excelはセルが画面びっしり並ぶ光景が怖くて触らず、Powerpointも特段さわる機会がなかったのでさわらずといった状態でした。

そんな状態の人間が、仕事をこなすための手段として持ち得ているものは残念ながら「もっとも愚直な方法」しかないのです。
新人で初めて配属されたプロジェクトでは開発の現場でした。思い出すと、ここでいうところの喩え話のような仕事っぷりだったと思います。

当然、先輩からは注意されます。
「そんな方法ではいくら時間をかけても終わらない。」と。
「もっと効率的な手段はないか考えろ。」と。

ただ、考えるのは、考える材料があって初めてできるものだと思っています。
なぜなら当時の自分は「効率的な方法で対処した方が早いのか、愚直なやり方で対処した方が早いのか」の判断さえできないほど、知らないことが多すぎたのです。

問題を目の前にしながら、見つかるかどうか分からない解決法をさがすことの焦り

なぜなら、効率的な方法のイメージさえつかめていないのです。
当然調べます。
調べるスキルも低いので、効率的な方法のヒントになるものを探すのにも時間がかかります。
ピンポイントで解決法が見つかる事はまずないので、そこからどうやって自分の問題に当てはめる事ができるか考えます。

①目の前に早く解決しなければならない問題を認識する

②解決のヒントになりそうなものを探す

(どれがヒントになりうるのかを判断する)

③ヒントを今回の問題にどう活かせるか考える

④活かせると判断できたらやってみる。活かせないのなら②に戻る

このサイクルを回している時も時間は刻一刻と過ぎています。
目の前には何も進展のない問題。
時間だけが過ぎていく。

この状況は今でもしんどいし、新人の時なら尚更です。
そこでどうしても自分の知っている愚直な方法で対処したくなるのです。

明らかに非効率だとしても、作業中は確実に仕事の量は減るから。(非常に微々たるものだとしても)
作業中は上記の慣れないサイクルを回さずに作業に没頭できるから。

 

ま、それでも想定の時間の何倍もかかるので、結局、問題解決には至らないのですけどね。そして先輩に怒られる、と。

ラクな方法に多く触れるまでは努力するしかない

この時点で足りないのは「自分の頭」というよりは、先輩のいう「ラクな方法に触れる経験」です。

実際、その後、当時の自分では想像できないような効率的な方法・ラクな方法を見て「こんなやり方もあるんだ!」と学びました。

少しでもまねる→それでも非効率だと言われる→もっと効率的な方法を学ぶ→少しでもまねる

このサイクルを回して「努力の前になにが効率的なのか考える思考」を徐々に育てていくのです。
当然、そのサイクルの中で「先輩に指摘され、お手本を見せてもらう」というフェーズはどうしても必要なので、先輩の指導というのはとてもありがたいものです。

誰でもはじめからスマートにできるわけがない

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photo credit: shenamt via photopin cc

結局、なにが言いたかったというと「誰しも愚直に努力するしか手段がない時期はある」ということです。
ただ、そこにいつまでも安住していてはいけません。

その時期を過ごす中でも
「ゴールがどこで、そのゴールを達成するために必要な要件は何か、それを満たすにはどうやったらラクなのか」
を常に考える姿勢をもって、はやく愚直な努力のフェーズを卒業することが大事なのです。

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